ダイアナ妃とチャールズ皇太子の結婚式:すべての詳細
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木曜日の8月31日、ダイアナ・スペンサーの死から20年を迎えました。1997年8月31日、恋人でエジプト人富豪のドディ・アルファイドとともに乗っていたレディ・ダイアナの車が、パリのアルマ・トンネルの支柱に衝突しました。
英国と世界各地で、近代史上最も愛された人物の一人である「人民のプリンセス」をしのぶ式典が開かれました。週の初めから、ダイアナがロンドンで暮らしたケンジントン宮殿の前には花やカードが積み重ねられました。
ダイアナの息子であるウィリアム王子とハリー王子は30日水曜日、ケンジントン宮殿に造られた追悼庭園を訪れ、彼女が支援していた慈善団体の代表者たちと面会しました。
今回は、愛されたダイアナ妃とチャールズ皇太子の結婚式を振り返るとともに、彼女の悲劇的な死につながった事故についても紹介します。

ダイアナとチャールズ皇太子の結婚式
1981年7月29日、今から36年前、ダイアナ・スペンサーは英国王位継承者チャールズ皇太子と結婚しました。式は衛星中継され、世界でおよそ10億人が視聴しました。壮大な結婚式は水曜日にセント・ポール大聖堂で行われ、3,500人が参列しました。

大きな注目を集めたのがダイアナのドレスです。バッキンガム宮殿が依頼し、デザイナーのデイヴィッド・エマニュエルとエリザベス・エマニュエルが制作しました。
どの衣装が選ばれたかを誰にも、特に報道陣に知られないよう、制作の全工程は徹底した秘密のもとで進められました。体のラインを見せないボリュームのあるドレスは、その年に花嫁たちから最も多く求められたデザインの一つとなりました。
ダイアナのティアラは金製で、銀にセットされたダイヤモンドが飾られていました。靴には中央のハート形モチーフを囲む150粒の真珠があしらわれ、チャールズ皇太子は海軍の制服を着用しました。
婚約指輪は、ガラードが1980年に制作した12カラットのサファイアを14石の一粒ダイヤモンドで囲み、18金ホワイトゴールドにセットした宝飾品でした。結婚指輪はウェールズ産の金で作られました。名高いクロガイ・セント・デイヴィッド金鉱から採れた柔らかな金塊の残りが使われ、同じ金塊から王太后、女王、マーガレット王女、アン王女の指輪も作られています。シンプルな金の結婚指輪の内側には「I Love You, Diana」と刻まれました。
結婚により、ダイアナは殿下の称号とともにプリンセス・オブ・ウェールズとなりました。婚姻中の正式な称号は、プリンセス・オブ・ウェールズ、チェスター伯爵夫人、コーンウォール公爵夫人、ロスシー公爵夫人、キャリック伯爵夫人、レンフルー男爵夫人、レディ・オブ・ジ・アイルズ、スコットランド王太子妃でした。チャールズとダイアナは1992年に別居し、離婚は1996年に成立しました。
ダイアナとチャールズの物語
二人のロマンスは1981年に始まりました。チャールズとダイアナが公の場にそろって姿を見せるようになると、タブロイド紙「ザ・サン」が交際をスクープしました。ダイアナは自宅を出るたびに記者たちに追われました。
同年2月6日、チャールズは当時の恋人ダイアナをウィンザー城に招き、そこで結婚を申し込みました。
バッキンガム宮殿は2月24日に婚約を発表しました。ダイアナは宮殿に移りましたが、結婚してチャールズと同室で眠れるようになるまでは、2人の使用人とともに暮らしました。
悲劇的な事故
ダイアナは1997年8月31日、恋人でエジプト人富豪のドディ・アルファイドと乗っていた車がパリのアルマ・トンネルの支柱に衝突した事故で亡くなりました。
英国警察の調査によると、事故の原因はスピード超過と運転手アンリ・ポールの飲酒でした。悲劇から唯一生還したのは助手席にいたダイアナのボディーガード、トレバー・リース=ジョーンズです。ポールとドディは即死しました。
ダイアナとボディーガードは救出され病院へ搬送されました。ダイアナはピティエ=サルペトリエール病院に収容されてから数時間後、内出血と胸部、頭部、肺の重傷により亡くなりました。
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